山の思想と日本人 其の2

Forest is life

富士山の世界文化遺産登録 めでたし!
しかし、その意味をよく考えないと、日本人は根っこを失うことになる。

山宮浅間神社の素晴らしさ。 これぞ古代神道のありのままの姿だ!

今回世界文化遺産の登録された、富士山周辺の神社の中で、ひときわその位置づけが重要であると目されているのが、山宮浅間神社(やまみや せんげん じんじゃ)です。
紀元前27年に現在の形式になったとのことですので、年代的には弥生時代に作られたということになる、古代神道の神社です。ちなみにこの神社は社殿を持ちませんし、持とうとはしませんでした。
古代の富士山の噴火で流れてきた溶岩流の最突端部の小高い丘に、神籬(ひもろぎ)を作り、木々の間にドスンと存在する富士山の山塊に祈りをささげる。全くシンプルな古代の人たちの大自然への祈りの形態をそのまま表しているのが、この山宮浅間神社です。
では、なぜ、溶岩流の最突端なのでしょうか?
 実は、周辺には縄文時代からの数々の遺跡がすでに発掘されていて、その遺跡の形式の系譜を忠実にこの神社が踏襲しているというのです。つまり、人々の祈りの形式が、「神道」と名のつくもっと以前から、連綿とつながっていたことが遺跡の発掘でわかってきたというのです。

大鹿窪遺跡 縄文の民の祈りの形式

富士山の西南約20kmに位置する大鹿窪遺跡は、今から1万1000年前、縄文時代中期の住居跡と考えられています。
大鹿窪遺跡は、富士山に代表される大自然に、我々の先祖がどのように接していたか?その有様を如実に教えてくれています。
この遺跡は、約11戸、50人の人間が住んでいたと思われる竪穴式住居跡地ですが、やはり、溶岩流の痕跡のすぐ近くにわざわざ居住地を定めた形式となっています。
つまり、住居跡に後から溶岩流が到達したのではなく、わざわざ、かつての溶岩流の到達地点のすぐ近くを、選んで居住したということなのです。
現代人の我々ならば、溶岩流の到達地点は、また新たな溶岩流に襲われる可能性のある「危険地帯」「イエローゾーン」と認識するでしょう。しかし、私たちの先祖は、むしろそこを選んで居住している。神の世界と人間の世界の境界領域。そのように認識したのでしょう。素晴らしいことです。
そしてそれは、自然のエネルギーをいただく、同時に感謝と畏怖を感じ続ける、という 私たちが忘れかけたスタンスをすでに持っていたというあらわれなのだということです。
もう一度、遺跡の写真を見ていただくと、住居と溶岩の中間に、「配石遺構」というものが見えます。丁寧に石を積み上げた、祈りの場です。(焦げや炭の跡がないので、カマドや炉のあとではないと判断されます)
つまり、遺跡で判断される限り、縄文時代の人々は、富士山に対して、すでに「山岳信仰」の原型のようなものを感じて生きていたということがわかってきたのです。
自然の偉大なエネルギーに畏怖を感じ、謙虚に身を処しながら、その豊かな恵みやエネルギーをいただいて生きていくという作法。
それは、なんと石器時代からそのようであっただろうと、中沢新一氏は話しています。

4000年前のその他の遺跡も、それぞれ同様の祈りと感謝の形式を持っている。

それが、そのまま、山宮浅間神社の祭礼形式に受け継がれている、ということ。
今から4000年前、すなわち、縄文時代後期の遺跡にも、同様の富士信仰、自然信仰の痕跡が明らかに見つかっています。
富士山の東に位置する、千居遺跡(せんごいせき)では、富士山に向かって二列の平行線の祭礼石積に跡や、大規模なストーンサークルなども見つかっています。それらの場所は、明らかに居住跡とは一線を画していて、やはり富士山信仰にまつわるものと認識されますが、まだまだ調査の余地があるようです。
また、富士の北側に位置する同じく4000年前の牛石遺跡では、50mにも及ぶ環状の配石遺構が発掘されており、そのサークル内でしか富士山が望めないそうです。
いずれにしても、これらは、本来の古代人の住居のほんの一部が、たまたま掘り起こされたものであると考えられます。
山と自然のエネルギー そしてそれに対する畏怖の念と感謝の作法。その形式は本質的には何ら変わることなく、縄文から弥生へ、そして山宮浅間神社へ、そしてそれ以降の富士山信仰へと受け継がれていきました。

山宮浅間神社は、今でも氏子総代も存在する現役の神社なのである。

ざっと説明してきた3つの遺跡は、あくまでも遺構であって、現役のものではありません。しかし、山宮浅間神社は、今でも氏子総代も存在する、現役の神社です。
しかも、明治期の神仏分離令など、政府の布告、命令、弾圧にも耐えて、いまだに大きな社屋を作らず、一貫して神籬と霊峰富士の関係だけで祭礼を運営しているのです。
よくもまあ、これを見つけ出して、世界遺産にしてくれたもんだと、思わず膝を打ちたくなります。

連綿と続く、山岳信仰の系譜。日本人と山と自然の作法。
日本人は、今、そのスタンスを改めて再認識しなければ、
自らの根っこを失うことになる。

石器時代、縄文時代から江戸期の富士講などの民間宗教まで、連綿と続く日本人の山のエネルギーへの畏敬の念。
そして、皆さんに知っておいてもらいたいことは、明治政府による、これらの信仰形態への大弾圧の歴史です。
しかし、日本人は、細々と、たくましく、お上が何と言おうと自分の足元の考え方を捨て去ることはしませんでした。今でも、丹念に探り当てれば、私たちの生活文化、あるいは山や木との付き合い方。木を使う住居の作法など、昔の人の守ってきたものを感じ取るチャンスはあるのです。
いま、この富士山の世界文化遺産指定は、その又とないチャンスです。
それを生かすも殺すも、私たちの考え方次第なのです。

自然の猛威は、これから先も小手先の人為を超えて大暴れすることもあるでしょう。
一方で、世界有数の豊かな自然の恵みを与えてくれるのも、同じ自然です。
豊かな自然を消費し尽くして、小手先の人為で自然に対抗できるかのような施策を盲信する。このようなスタンスに、未来はあるのでしょうか?
これから先の子供たちや孫やもっと先の日本人に、日本ならではの自然との付き合い方とその作法を受け継いでいきたい。そのように考えることが、日本人の根っこだと考える次第です。
そしてもちろん、その考え方は、木の育て方、加工の仕方、家の作り方にまで浸透してサイクルする、つまり、人々の気持ちが再び山と木への感謝と畏怖に戻ってくることにおいて、はじめて生き生きした希望に結び付いていくものと思います。

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